in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ビート・インターナショナル 代表取締役 渡邊剛志氏登場。
心が揺れ動かなかった少年
現在、千葉と東京で6つのイタリアレストランを展開する(株)ビート・インターナショナル。社名の『ビート』は、ハートビートが由来だ。お客様の心震わせたいという願いと併せ、自分たちの心も奮わせたいという思いが込められている。
そんな同社を率いる渡邊剛志社長だが、自身がエンジンをかけて心を奮わせはじめたのは、実はそう遠い昔のことではない。「なにごともデビューが遅かったから、今はいろいろなことが新鮮です」と笑う。
渡邊は横浜市旭区で生まれ育つ。平凡なサラリーマン家庭で、長男ゆえにのんびり育った。中学や高校でなにかに没頭し傾倒した経験はない。高校時代にはテニス部に在籍していたが、勝ち進むべく汗まみれ泥だらけになったこともなく、平々凡々と日々をすごしたという。
しかし、飲食店は社長の生き写しのようなもの。その生い立ちや生き様、信念が宿っているものである。『トラットリア ボッカ ボーナ』をはじめとする同社の店舗もまた同様であろう。控えめで淡々とクールな渡邊の、その静かなる情熱と戦士ぶりを今回は追ってみたいと思う。
7年のフリーター生活の末に就職
高校の卒業を目前に控えても、まだエンジンはかからなかった。「進学、就職、いずれもピンときませんでした。まだ目標が定まらずに、プラプラとアルバイトをしていました」。渡邊は淡々とそう話した。
それならアルバイトを通して飲食業に目覚めたのだろうと想像するだろうが、そうでもない。トラックで配送をしたり、建築現場の外構工事でタイルを貼ったり。飲食店で働いた経験など皆無なのだ。
この時期、現在の渡邊へと繋がるものがあったとすれば、それはイタリアへ旅行しパスタを食べて、イタリアンの良さを知ったことくらいだろうか。当時は電機メーカーに勤める父がイギリスに赴任。時折、新しい実家となったイギリスへの『里帰り』がてら、欧州を回っていた。
そんな渡邊であったが、25歳で結婚。周囲から紹介された医療機器メーカーに就職した。そこでは透析関連の機器の営業とメンテナンスを行い、3年が過ぎると今度はそれらの機器のディーラーとして独立する。・・・・・・。
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