in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”にアサヒフードクリエイト株式会社 代表取締役社長 津村昭二氏登場。
スーパードライ、禁止令。
昭和が終わる頃、正確には、昭和62年アサヒスーパードライが発売されるまで、ビール業界の勢力図はだいたい決まっていた。キリンビールがダントツの1位で、サッポロビールが2位で、アサヒビールは上位2社を追いかける位置にいた。といっても、上位2社は不動。アサヒビールは常にサントリーの追い上げに悩まされていたのが実情だ。ところが、スーパードライが発売され、数年経つと勢力図は逆転する。王者、キリンをアサヒが抜きトップに立ったのだ。
当時、営業の最前線に立っていた津村は、こう振り返る。「それまでアサヒビールの営業といえば、酒屋さんや飲み屋さんに頼みこんで1本でも、2本でもとアサヒビールを置いていただく仕事でした。ところがスーパードライが発売されると、立場が逆転。うちの店にも、と依頼が次々に寄せられるんです。ところが今度は、生産がまったく追いつかず、ご迷惑をかけてしまいました。私たち社員には『スーパードライを飲むな』という社長命令まで降りてきたぐらいです」。
それからも品不足はしばらくつづいたが、社長、樋口廣太郎氏の英断で生産体制が強化され、品薄状態が改善されると、改善された分だけシェアがアップした。
そして、ついにはキリンビールが長年座りつづけてきたトップの座を奪い取ったのである。・・・・・。
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