in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社大戸屋 代表取締役会長 三森久實氏登場。
50円均一食堂、「大戸屋」の誕生。
ホームページを覗くと旨そうな料理が目に飛び込んでくる。メニュー表を観ると、これが「定食屋?」と思うほど、おしゃれな料理が並んでいる。
「四元豚とたっぷり野菜の蒸し鍋定食」「大戸屋風チキンカツレツ 特製和風デミソース定食」「鶏の竜田揚げ土鍋あんかけご飯 梅豆腐小鉢付き」…。たまらず食指が動きそうだ。この「大戸屋ごはん処」が誕生したのは、1958年。今回、ご登場いただく代表取締役会長 三森 久實、1歳の時である。
「私の養父の三森栄一が、1958年、東京の池袋東口に『大戸屋食堂』を開業しました。全品50円均一というユニークな商法で人気化します」。1958年といえば、オリンピック開催前。オリンピックの開催は1964年だから、その開催に向け東京が近代的な街に生まれ変わるなかで、「大戸屋食堂」は多くの労働者、サラリーマンの旺盛な食欲をみたしてきたはずだ。
野球好きな伯父が送ってきた「バット1ダース」。めざせ!甲子園。
三森は、山梨県で観光ブドウ園を経営する父の下に生まれた。伯父である栄一氏に子どもがなかったこともあって、三森は幼い頃から「伯父さんの養子になるんだぞ」と言い聞かされて育ったそうだ。栄一氏は甥の三森を可愛がり、野球少年だった三森にグラブやバットを買い与えた。バットが1ダース送られてきたこともあったそうだ。
「伯父も野球が好きでした。私をプロ野球選手に育てたかったのかもしれません」。栄一氏にそう思わせるほど、野球が巧かったのも事実である。高校は強豪の「帝京高校」に進んでいる。ただし、当時の野球部はいまの「帝京野球部」とは違って甲子園常連校でもなかった。監督が代わり「3年計画で甲子園へ」というチャレンジグな時代だったそうである。この時の監督は、現在も同校で監督を務めておられる前田三夫氏である。調べてみると、三森はすでに卒業していたが、1978年春の選抜高校野球で帝京高校は甲子園初出場を果たしている。・・・・。
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