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現在、楽天は社内の公用語を英語になり、ユニクロを展開するファーストリテイリングも2012年3月から 英語を社内の公用語にする。
ジャパニーズレストランを経営しているシドニー(豪州)にある鱒屋グループも11カ国出身の総勢200名(永住者100名を含む)も社内の公用語は全て英語に統一されている。意外にも日本レストランは働くスタッフの大半が日本人なんで日本語中心。ワーキングホリデーで豪州に渡っても、ちゃんと学べないですよね?
フィッシュマーケットにて役職者は毎日英語でミーティング。
スタッフが働く環境は、ちゃんと学べる環境でもある。
鱒屋グループの定松社長の物件情報は半端でない。
ここにはこんな業態とか、ここはこんな感じならうまくいくとかさすが!!
売り物件 その1↑ ↓その2 店舗物件はもちろん、どこにどの業態が合うかやオーストラリアではラーメン業態、しゃぶしゃぶ・すき焼き業態、焼きそば等のB級グルメ業態など専門店は流行るとかすごい情報をお持ちだ。
ちなみに鱒屋本店のあるビルは日豪貿易のパイオニア、兼松房治郎が興した兼松発祥の場所
お店視察編
ペッパーランチ(シドニーでもかなりの人気店らしい)
セルフうどんのまっぺん(安価で提供を実現された大人気店)
シドニーで見つけた味仙ラーメン(ここのFC店はサービス含め汚く最悪)
kinokuniyaが入っているビルにあるラーメンの一番星(行列のできる店)
2階ながら鼎泰豊(Din Tai Fung)の人気はすごい。この反対側にある日本料理店は閑古鳥。
東(AZUMA)も人気店(現在4店舗あり社長の東さんと定松社長は昔一緒に働いておられた仲間)
mamakはマレーシア料理店(日本でいくとお好み焼きのような食べ物が人気でオープン前から行列ができていた)
とにかくいたるところにお寿司テイクアウト店
鱒屋・定松社長が監修プロデュースした“sake.sake dining”
chatswoodにいる“誠”大繁盛!!
表には行列が・・・
定松社長が新たに監修プロデュースされた焼肉店“錦”のチェック
鱒屋本店で指導されている定松社長
月刊食堂の大澤編集長とミストラル代表の武田(キイストン取締役チーフディレクター)と細見入れて鱒屋本店にてミーティング
dining&sake bar 美花にて打ち合わせ中、偶然にもオーストラリアでれんが屋など8店舗やっておられる井上社長と。
今回、鱒屋様の配慮でシドニー視察してきた。
現地2日という弾丸トラベラー状態で密度の濃い視察ではあったが、いろいろな発見と可能性、それに業務的にも大きな成果があった。
オペラハウス
billsで朝食
高級肉屋Victor Churchillの店内にて肉の解体を演出
シドニー中心部から20分くらいでビーチに。
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社物語コーポレーション 代表取締役社長 小林佳雄氏登場。
本文より~
父からは怒られた記憶がない、と小林。一方、母からはきびしく躾けられた。「肝っ玉かあさん」と小林がいう母からみれば、いつも級長に抜擢されるような小林も頼りない少年に思えてならなかったのかもしれない。当然、小林の精神のなかには、母から躾けられ、教えられたことが色濃く定着している。ただ、多くの子どもがそうであるように、母の躾や教育は、少年小林にとってもありがたいものではなかった。実際、大学受験を機に、母から逃げ出すように東京で一人住まいを始めている。1968年、小林は慶応義塾大学に進んだ。有名大学に進学したものの、小林いわく、「まるで勉強もしない、チャランポランな学生だった」そうだ。そのくせ、単位はうまくとった。ゼミにも先輩を上手に使って潜り込んだ。遊び回って迎えた大学4年の就職活動。大きな選択を迫られてもなお、小林はさまよえる青年のままだった。「当時のぼくは、いい会社に就職しないとカッコ悪いと思うタイプです。頭を何度も叩かれているのにまるで大事なことに気づかない。このまま就職しないのもカッコつかないから、親から100万円ふんだくって、1年間の休学届を出し、アメリカにトンズラした。最初は勉強するぞと意気込んで海を渡ったんですが2ヶ月で意志は砕け、結局、遊んで帰ってきた」。「うちはお金持ちで、オレは長男だし、家に帰れば二代目だ、なんて気持ちがあったのでしょうね。ただそれをするにしても、卒業してまっすぐ帰るのはカッコ良くない。だからフォーシーズンなどでブレイクしていた洋食・フランス料理店のコックドールに腰かけ程度に就職するのです。大学卒業してすぐにかみさんとも結婚。人生、なめ切っていますよね(笑)」。ただ、それが小林にとっては素直な生き方だった。ちなみに渡米での経験はある意味、無駄ではなかった、と後になって振り返る。アメリカ人たちの屹立した生き方に影響されたから。とはいえ、それはまだ心の奥底でかたちさえなさない「想い」だったのだが。・・・。
続きは株式会社物語コーポレーション 代表取締役社長 小林佳雄氏
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