in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社物語コーポレーション 代表取締役社長 小林佳雄氏登場。
肝っ玉かあさんからの逃亡
父からは怒られた記憶がない、と小林。一方、母からはきびしく躾けられた。「肝っ玉かあさん」と小林がいう母からみれば、いつも級長に抜擢されるような小林も頼りない少年に思えてならなかったのかもしれない。当然、小林の精神のなかには、母から躾けられ、教えられたことが色濃く定着している。ただ、多くの子どもがそうであるように、母の躾や教育は、少年小林にとってもありがたいものではなかった。実際、大学受験を機に、母から逃げ出すように東京で一人住まいを始めている。1968年、小林は慶応義塾大学に進んだ。有名大学に進学したものの、小林いわく、「まるで勉強もしない、チャランポランな学生だった」そうだ。そのくせ、単位はうまくとった。ゼミにも先輩を上手に使って潜り込んだ。遊び回って迎えた大学4年の就職活動。大きな選択を迫られてもなお、小林はさまよえる青年のままだった。「当時のぼくは、いい会社に就職しないとカッコ悪いと思うタイプです。頭を何度も叩かれているのにまるで大事なことに気づかない。このまま就職しないのもカッコつかないから、親から100万円ふんだくって、1年間の休学届を出し、アメリカにトンズラした。最初は勉強するぞと意気込んで海を渡ったんですが2ヶ月で意志は砕け、結局、遊んで帰ってきた」。「うちはお金持ちで、オレは長男だし、家に帰れば二代目だ、なんて気持ちがあったのでしょうね。ただそれをするにしても、卒業してまっすぐ帰るのはカッコ良くない。だからフォーシーズンなどでブレイクしていた洋食・フランス料理店のコックドールに腰かけ程度に就職するのです。大学卒業してすぐにかみさんとも結婚。人生、なめ切っていますよね(笑)」。ただ、それが小林にとっては素直な生き方だった。ちなみに渡米での経験はある意味、無駄ではなかった、と後になって振り返る。アメリカ人たちの屹立した生き方に影響されたから。とはいえ、それはまだ心の奥底でかたちさえなさない「想い」だったのだが。・・・。
続きは株式会社物語コーポレーション 代表取締役社長 小林佳雄氏
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
コメント