in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”にダイキチシステム株式会社 代表取締役社長 牟田 稔氏登場。
「やってみなはれ」のサントリー入社。
カツサンドが決め手になった、と牟田は就職時代を振り返る。「当時は4年の10月1日が、解禁日だったんです。その日の朝に、サントリーで面談を受け、次に大手家電メーカーの面接を受けました。すると、君、採用だからとその日から特別扱いされ、缶詰めにされたんです。まだ若かったこともあって、カチンときました。3日後、ようやく解放されて、サントリーの担当者に会いに行くのですが、たいへんだったな、って。そうだ。腹も減っているから飯でも食いに行くかと、カツサンドを食べに連れてくれたんです。それがご縁の始まりです」。なぜ、サントリーだったのですか?と伺うと、単純におもしろそうだったから、という答えが返ってきた。おぼろげながらもサントリーの自由な風土を感じていたのだろう。それがイの一番にサントリーに向かわせた理由である。サントリー時代のお話はとにかく豪快だ。最初の配属先は福岡。大学時代4年過ごした庭のような街である。せっせと店に顔を出した。経費もバンバン使うことが許された。金はだすから、とにかく『酒』と名の付くところには全部顔を出せといわれた。ちなみに当時のサントリーは、超目玉商品、オールドの人気が少しずつかげりはじめた頃。ビールのシェアは、もちろん少なく、ビールを酒屋においてもらうために自動販売機の設置など、あの手この手の作戦を展開していた。やがて、このビールが縁となり、「ダイキチシステム」と「サントリー」の関係が強固になるのだが、福岡にいた牟田には知る由もなかった。「とにかく店を回るでしょ。最初は食べて、飲んで。次も食べて、飲んで。その次には、飲んで、食べてとなり。それ以降は飲んで。飲んで」。酒を流し込んで、店主との距離を少しずつ縮めていく。それがサントリー流、もしくは牟田流の営業方法だった。・・・。
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