in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社なんでんかんでん 代表取締役社長 川原ひろし氏登場。
ピアノとバイオリンとラーメンと。
1964年3月15日、川原は福岡市博多区の繁華街の一角に生まれた。祖父は明太子で有名な「ふくや」の主人である。父は貿易関係の会社をやり、母は専業主婦。母方は音楽など芸術的な家系で、川原も幼い頃から音楽学園に通っていた「ピアノやバイオリン。声楽もやっていたので喉が鍛えられました」。たしかに、美声である。「小学生の後半から高校までは毎日、歌っていました。毎日、歌っていると喉のパイプが太くなるんです」と川原。音量が豊かとは、このような声のことを言うのだろう。母は、音楽だけではなく教育にも熱心だったが、川原は、勉強にはあまり関心が持てなかったそうだ。代わりに子どもの頃から、音楽以外に興味があったものがある。ラーメンだ。小学生の頃から、ラーメン店には独り出かけていったそうだ。
ブラウン管の向こうに。
中学生になって、川原は3回転校している。2回目は実家の改築によるものだったが、1回目は大阪の親戚筋に預けられている。「中学受験をさせられたんです。2つ受けて、どちらも失敗。母親が怒ったんでしょうね。『そんなに勉強がキライなら一度、ほかの釜の飯を食ってこい!』ってことになって大阪の親戚に預けられたんです。もっとも1年で許さるんですが、この1年、いちばんビックリしたのはラーメンがとんこつじゃないことでした(笑)」。ラーメン好きの川原だったが、ラーメンにいくつもの種類があるとは知らなかった。ラーメンといえば「とんこつ」。これがセオリーだったのである。一方、この大阪時代、つまり中学1年生の時に、川原は「歌手になろうと決めた」と語っている。ちなみに、第13回日本レコード大賞新人賞を受賞した本郷直樹氏は、親戚筋にあたるそうだ。ブラウン管の向こうで歌う本郷氏に少なからず影響されたのではないだろうか。・・・。
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