in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ヨンナナプランニング 代表取締役社長 鈴木賢治氏登場。
曾祖父の名を譲り受ける。
鈴木賢治は1982年5月20日に生まれた。父は、曾祖父とおなじ「けんじ」という名を息子に与える。「父は、祖父、つまり私の曾祖父が大好きだったそうです。曾祖父の名は『賢二』で私は一文字違いの『賢治』と命名されました。曾祖父は、一代で財を成し、名士と言われていました」。
一文字違いの「鈴木賢治」。彼ははたして曾祖父の名に恥じない事業家になれるのだろうか。ちなみに母方の祖父は重要無形文化財に認定されている。
借金にすべてが消え、製氷事業のみが残る。
鈴木が誕生したその年、鈴木家は莫大な借金を背負うことになる。祖父の時代に曾祖父が興した事業の多くがとん挫。次男の父が取り残され、すべての借金が押し寄せてきたのである。残った事業は、製氷事業のみ。父の奮闘がなければ名家は借金に押し潰されていたことだろう。むろん、これらは鈴木の知るところではない。父が行う製氷事業は、マイナスからスタートしたものの、借財を返金しながらも存続し、鈴木は4代目となるよう躾られた。「いずれ継ぐつもりだった」と鈴木もそう語っている。
バスケットボール、コート駆け回った少年時代。
むろん跡を継ぐといっても、少年時代の鈴木にとっては漠然としたものだったに違いない。関心はコートにあった。バスケットボールに専念し、中学も、高校も、バスケットボール1本だった。高校時代には、市大会で優勝も経験している。それでも、大学に上がると名選手が多く、鈴木はサークルに参加しただけ。ちなみに、大学は専修大学に進んでいる。
志とは何か。
「大学では、好きなことをさせてもらっていました。もともと4代目という指定席があったんで、父も、私も、社会勉強だと割り切っていたんです。しかし、国際公務員を目指す友人と出会い、初めての海外を経験し、自分を外から見た時、4代目の指定席は、座りがっての悪いものになる。「ジブンのチカラを試してみよう」。「公認会計士になる」と目標を定めた。「3年間の猶予を父からもらいました。もちろん仕送りも。でも、そのおカネは、結局、ゲームに飲み込まれていくだけでした」。
対戦格闘ゲーム、日本一。
有名な対戦格闘ゲームがある。実は高校時代にも、それにハマった。いわき市で一番になり、もはや敵はいない。興味を失くしていた。にもかかわらず、たまたま入ったゲームセンターで、数年ぶりにやってみるとコテンパンに打ちのめされた。負けられるか。「それは、それはひどい生活でした。有り金ぜんぶゲームにぶち込みます。600万円ぐらいはつぎ込みました。高校時代と違い、今度は世界が相手です。次から次に強い相手が現われて、ぜんぶ倒し終わって日本一になった時には、もう3年が経っていました」。公認会計士などなれるはずもない。3度受験したがすべて不合格。我に返ったとき「やっちまったぁ」とつぶやいた。・・・・・。
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