in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社グルメ杵屋 代表取締役社長 椋本充士氏登場。
3年でぜんぶ教えたる。もう逃げ道はなくなった。
大学を卒業すれば、就職である。社長の息子にも当然、その時はやってくる。会社を継ぐという思いは、ハナからなかった。父の彦之氏からは、「好きにせえ」と言われていたそうだ。「最初はアパレル関係を志望していたんです。でも、ちょうど『すかいら~く』さんが西日本に進出されてきたころでした。系列の『イェスタデイ』や、そう『デニーズ』さんも進出されてきたんでしょうね。採用にも注力されていました。それで『これもええな』と外食に目を向け始めます。ありがたいことに、内定はたくさんの会社さんからいただきました。そのなかに初任給が破格な会社があったんです。ほかは12万円ぐらいやのに、16万5000円です。担当者も、ほかとは違い、えらい厳しいんですね。『よっしゃ、決めた』。それで入社したのが大和実業だったんです」。大和実業といえば、関西では当時からとくに有名な会社だ。「やぐら茶屋」「エスカイヤクラブ」といえばピンとくる人も多いだろう。さて、就職、社会人の一歩はどうだったんだろうか。「入社半年が勝負です。初任給はたしかに16万5000円ですが、半年後、副店長になってなれば給料が下がるしくみだったんです。社会の厳しさを知りました(笑)」。「一方、親父と当時の社長が知り合いで、おたくの息子がうちで働いているで、と。父はそれで、私の就職先を知ったんじゃないでしょうか」。社長の息子にありがちなのは、何年間かほかの店で修行するケースだ。だが、椋本にそんな意識は一切ない。競合すれば、父も子も全力で戦ったことだろう。何年間が過ぎる。「杵屋とグルメが合併する時です。当時の副社長に呼び出されましてね。『なんかオレまずいことでもしでかしたか』とビクつきながら副社長室に入ると『もう帰れ』と。その時初めて、合併の話も聞くんです。でも、私にはぜんぜんその意思がありませんから、『私はこの会社に骨を埋める覚悟です』と宣言しました。その時はなんとか了解してもらったんですが、上場の時にまた呼ばれまして、『あと、何年いるか、決めろ』と。で、しかたなく3年と適当に言うと、『その3年でぜんぶ教えたる』と真剣な目で言われたんです。もう逃げ道はなくなりました」。・・・・。
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