in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ドリームリンク 代表取締役社長 村上雅彦氏登場。
本文より~
生徒に人気、だが教師から疎んじられた少年。
村上が生まれたのは、1963年。秋田県秋田市に生まれた。父は銀行員で、母も父と同じ銀行ではたらいていた。職場結婚。長女が生まれ、長男の村上が生まれる。姉弟2人。さぞ、幸せな家庭だっただろう。しかし、村上にとっては、どこか窮屈だったのかもしれない。ヤンチャな少年に育っていく。中学時代からタバコを吸い、バイクにも乗った。好意的に表現すれば、好奇心旺盛な少年だった。一方で、医師を志すなど、奔放な性格と堅実な性格の両面を持っていた。ケンカも辞さない一本気な性格で、誰かがいじめられていると聞けば、飛んで行った。素行はほめられたものではなかったが、生徒たちからの人気は抜群で、教師からすればこの上なく扱いにくい生徒の一人だった。初めての高校は1週間で退学し、再度、入学した高校も退学させられている。「退学は、教師たちの策謀」。少年にはそう映った。のちのちまでこの時の教師たちが下した決定は作為的という思いがぬぐえず、逆にいえば、「あいつらよりは偉くなってやる」と、それが村上の原動力にもつながっていく。
「成り上がり」を読んで、美容師の道に進む。
矢沢永吉氏著の「成り上がり」に触発されたのは、停学で謹慎させられていたときだ。医師をめざしていた少年が、医師以外にも、社会に評価される職業があり、生き様があることを知る。だから、高校を中退させられたとき、学歴がなくても、成り上がれるからと、料理人か美容師になろうと考えた。両親にも相談した。結局、美容師を選択し、東京の専門学校に入学。当時、美容師といえば女性の職種。男性はめずらしい存在だった。それでかえって注目もされたのだろう。初めて就職した美容室では、先生にかわいがられ、お客様にも人気があった。当時の美容室といえば、物販も収益源の一つだった。村上は、入社1ヵ月目に、この物販の売上で、ベテラン美容師を抜いてしまった。経営者からすれば、「こいつはいける」そう思ったに違いない。だが、村上は、ステップアップの青写真を描いていた。この店の次は、あの店で、と。たしかに将来に、明るい兆しがあった。「あのまま美容師の道をあゆみ続けていたほうが良かったかも」と村上は、笑いながら美容師時代を振り返った。 ・・・。
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