in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社福しん 代表取締役社長 高橋 順氏登場。
経理専門学校を卒業し、上場子会社に。その後、パチスロと戦うシビアなプロの世界へ。
中学になるとさらにPC熱は加速する。お年玉を貯め、新たなPCを購入。ゲームを開発するなどして楽しんだ。その頃「福しん」は6店舗になっている。高校生の時の記憶で一番印象に残っているのは「文化祭の委員長を務めたこと」だという。大学祭に匹敵するような、1週間にわたるロングランの文化祭を高橋はきっちり取りまとめた。当時、高橋は「福しん」でアルバイトを始めているが、「将来、事業を引き継ぐ気持ちはなかった」ようだ。その後、経理の専門学校に進み、2年間勉強した後、ある建設会社に入社。上場企業の関連会社だっただけに、厳密な決算を教わり、学べることも少なくなかった。ただ、建設会社につきものの、独自の「商習慣」には、なかなかついていくことができなかった。社会には、表もあれば、たしかに裏もあった。24歳で高橋は退職。その後、1年間、パチンコ店で勤務し、今度は「パチスロ」のプロになった。シビアな世界だ。高橋は、「強い信念で勝てると思い、冷静に打ち続けることを学んだ」といっている。ちなみに「スロットマシン」は、あらかじめ設定が数段階に分かれているそうだ。むろん客は知ることができないのだが、決まった絵柄の出現頻度から、割り出すことができるという。これが勝ち負けのカギを握る。いったん「これだ」と思った台があれば、後は根気と信念の勝負。予測の「精度」を限りなく高め、「信念」で揺れる心を抑えきる。小さなマシンとの戦いだが、それこそ弱い自己との戦いでもあったようだ。高橋に、休みの日は何をしているのかと聞いた。すると「パチスロですかね」という答え。「こちらは趣味でやっているから、楽しめた」という。プロの厳しさがこの一言からも伺えた。ちなみに年収は数百万円にもなったという。そのような生活をしている時、父から「『福しん』に入るように」と頼まれた。社長含みなら断っていたかもしれないが、上場を控え、組織の内部を固めるためと言われ快諾した。だがこれが、とんでもない話だった。 ・・・。
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