in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”にイートアンド株式会社 代表取締役社長 文野 直樹氏登場。
本文より~
25歳、「大阪王将」の社長に就任。
昭和52年(1977年)、「大阪王将」は法人登記を済ませ、大阪王将食品株式会社として新たなスタートを切っている。そのとき文野は、18歳。当時、大学へ進学するかどうかで文野は悩んでいた。16歳から店長をやり、商売の楽しさに魅了されていたからだ。「結局は、いったん大学に進学したんですが、すぐに飛び出し20歳の時に父から5000万円を借り、東海の三河で『東海王将』を起業しました」。この「東海王将」で文野は、従来の駅前の「餃子専門店」というスタイルを変え、ラーメン、チャーハンなどフルメニューをそろえた郊外型店舗を出店している。「3~4年で10店舗を出店した」そうだ。だが、父親から帰ってきてはどうだと打診され、文野は、重い腰をあげる。「東海で、機嫌ようやっとたんですがね」。すでに文野も25歳になっていた。この昭和60年(1985年)、文野は「大阪王将」の社長に就任し、父親は元来好きだった画家の道を歩み始める。だが、この時、すでに「大阪王将」のビジネスモデルは時代遅れになり、ビジネスモデルの転換を迫られていた。 ・・・。
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
コメント