in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ケーズネットワーク 代表取締役 山友浩司氏登場。
3年間で全国を一周。経費を削る旅を続けた。29歳の頃のこと。
日本中をディスコブームに巻き込んだ「マハラジャ」でもあったが、次第にブームに翳りが見えてくる。業績が低下し始め、前半に「しゃぶしゃぶ」(時間別のレストラン営業)をやり、夜にディスコという2業態を同一店舗で営業するようになった。一方、山友は、大阪店の責任者となった後、東京の本部に異動するなど、「マハラジャ」の中枢へと昇格していく。「私が東京に異動した頃には、すでに、かなり厳しい状況に陥っていました。その状況下で、建て直し又は撤退の見極めのために次々と違った店舗に派遣されていくのです」。山友、29歳の時である。
前橋、浦安、札幌、鹿児島、岡山、千葉と3年かけて全国を一周した。「いずれの店舗でも、経費をゼロから見直しました。寮を廃止したり、メンテナンス費用を削ったり。とにかく損益を成り立たせるために、削れる経費はドンドン削りました。そうでもしないと、店を閉めざるをえないからです。でも、私がいる間は良くても、その後にやはり利益が上がらず閉鎖したと聞かされたり、やるせない思いをしたのも事実です」とこの3年間を振り返っている。しかし、山友にとっては貴重な経験を積んだ3年間だったともいえる。徐々に幕を閉じていくブームを少しでも先に延ばそうと必死に戦った、その経験がいまに生きているからだ。・・・。
コメント