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お盆明けて、ますます社長取材に加速が付いてきた。
■取材済でこれから登場して頂く企業様(順不同)
エイジアキッチン・吉崎英司社長
アイテム・伊原純子社長
ジャパンフーズコーポレーション・藤原司郎社長
会ってお話聴くと皆さんすごいこだわりと理念をお持ちである。
企業と企業の人的な交流とかセッティングもぼちぼちしようかな。
入社して10年以上のK君。
なくてはならない存在の人材であるが、
さらにマルチでいろいろな業務が出来るようになった。
入社時からは想像できない。
もともと勉強熱心なんで、今ではお客様から仕事も頂いている。
業務で遅くなっているものの言葉にもネガティブな言葉がない。
たぶんなにか充実感あるようである。
9月より、リニューアルするものがあるなか頼もしい。
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ベイシックス 代表取締役社長 岩澤博氏登場。
本文より~
岩澤社長はもともとアパレル会社で営業職の仕事に就いていた。「アパレルは在庫をかかえるし、売掛けとか買掛けを基本とする商売。独立するためのビジネスとしてはリスクが高いと思いました。現金商売がしたかったので、飲食業に着目したのです」と岩澤氏。トラックの運転手をしていた父親を、「早くラクさせてやりたい」という岩澤氏の気持ちも、商売への開眼のきっかけとなった。・・・・
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
居酒屋産業展視察。
今年は昨年よりも出店が多かった気がした。
展示会ビジネス業界トップのリードの出身者だけあって
ほぼ同じ形だが、すごい規模である。
飲食業界にとってはいいこと。
数社お客様も出店しておられ、顔を出す。
いろいろなものも試食出来たので大変よかった。
パチンコ・チェーンストア協会の経営勉強会に
新卒採用業務をやらせてもらっているお客様の人事の代行会社として
パネルディスカッションのパネラーとして参加させてもらった。
他社の採用も教えて頂き、楽しい時間を提供してもらった。
機会を頂いた先方に感謝である。
シドニーの鱒屋様の協力で
日本のちゃんこ鍋の玉海力様との
人材交流がスタート。
まだ実験段階ではあるが、
大きな希望の懸け橋になりそう。
飲食業界、ならびに働く人たちに夢・希望を。
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ビックスグローブ 代表取締役 山下正夫氏登場。
株式会社ビックスグローブを語る上で欠かせないのが、山下社長の経歴だ。実は山下氏は、「焼肉牛角」を急成長させた株式会社レインズインターナショナルで取締役まで務めた人物なのだ。さらにその後は、株式会社レインズインターナショナル関連会社の株式会社テンポリノベーションを設立している。山下氏はレインズ時代をこう振り返る。・・・・・・。
品川駅周辺に住んでいるが、最近休みのときには周辺をよく散歩する。
健康にもいいし、歩いてみるといろいろと発見も多い。
特に旧東海道の品川宿(北品川)あたりはお寺や神社も多く、風情がある。
また、このあたりの商店街では先日流しそうめん大会もありなにかと温かさを感じる。
法禅寺内にある樹齢約400年と言われるイチョウの巨樹。幹まで葉っぱが茂っていて珍しいのでケータイで撮ったがなんとなくオーラを放っている気がする。
こちらは品川駅港南口の品川セントラルガーデン。
緑があると癒される。
散歩してると時間がゆっくり流れる気がする。
こんなひとときに幸せを感じる。
ストーリーは、わかっているものの感動した。
やはり動物ものはいい。
東京から実家の京都に連れていったミニチュアダックスの“たかすぎ”ももう確か17歳になってるはずだ。
やっぱり映画はいい。
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社モチモチ・ドリーム・カンパニー 代表取締役 福田浩幸氏登場。
大学卒業後、福田はいったんアパレル関係の会社に就職。2年で退職し、大手のレストランチェーンに転職する。ホールからはじめ、最後には「建て直し屋」のような仕事を任される。「チェーン店ですから、業績が振るわないお店もでてくる。そういう店を建て直してこい、と。3ヵ月で前年月の売上をクリア、半年で予算通りのお店にするのがミッション。それをことごとく達成するから、次々に指令が飛んでくる」と福田。もちろん口でいうほど簡単ではない。光熱費はもちろん料理からスタッフの行動までをチェックし、すべてを見直す。従業員の入れ替えが必要なら、福田はためらわずメスを入れた。経営の本質が「人」であると確信したのは、このとき。・・・・。