in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ワンダーテーブル 代表取締役社長 秋元巳智雄氏登場。
サッカー少年は青年になり、「飲食」は天職だと思う。
いまでも秋元は、走る、走る。フルマラソンにも、トライアスロンにも挑戦している。だから、食べても太らない。飲んだあとに平気で、ラーメンも食べるそうだ。
改めて走りだしたのは、同業の経営者たちに誘われたこともあるのだが、もともと「スポーツが好き」という下地があったからだろう。
小・中時代にはサッカーをやり、いつもピッチでボールを追いかけていた。
代わりに勉強はあまりしなかった。中学卒業後、日大一高に進むのだが「勉強したのは、受験前の3ヵ月だけ」と言っている。
高校に入るとサッカーより、バイクや車が好きになった。大学は、浦安にある「明海大学」に進んだ。大学時代には、すでに数百万円もする車に乗り、実家のある草加市から浦安まで、毎日、車をかっ飛ばしたという。
「バイト先が銀座だったんです。だから、家と銀座と大学を車で行ったり、来たり。そうですね。大学より、バイトに行く回数のほうが多かったのは事実です(笑)」。
小さい頃から「飲食」というのが頭にあった。農業を営む、父母をみて育ったからだろう。サントリーとUCC出資の「プロント(1号店)」と出会うことで、その思いが具体化する。
愛想が良いと親からも言われていた少年が、「プロント」で大人たちの手本ともなる接客を行うようになる。
ところで、当時の「プロント」には、サントリーやUCCから有能な社員たちが集まり、フランチャイズビジネスの「仕組み」作りに奔走していた。
彼らの考えや行動は、秋元に何らかの影響を与えたはずだ。
ちなみに、アルバイトのスウィングマネージャーという肩書を持ったのは、「プロント」では秋元が最初。時給は、20年以上前の話にもかかわらず1300円、これにマネージャー手当1500円も支給されていたそうだ。
学生時代にホンダの「インスパイア」「レジェンド」といった高級車を購入できたのも頷ける。
秋元は、ますます「飲食を天職」だとも思うようになり、独立開業を志すようになる。・・・・。
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