in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社やぶやグループ 代表取締役社長 横瀬武夫氏登場。
23歳のギブアップ。
「望んでいたわけではないが、ぼくはこれでよかったと思っている」、父はそういって息子の横瀬に店を閉めるよう促した。
「あれは、店をはじめて3年目のことです。私は、16歳から飲食の世界に入りました。父の店を2年、手伝いました。親子ということもあったし、私もまだ若かったから衝突もあって、何度か店を飛び出しました。18、19歳の2年間は親許を離れ、東京の焼鳥店で働いていました。20歳の時に名古屋に戻り、店をだしてもらいます。それが『鉄板焼き居酒屋 SHINOJIMA』です」。
最初の2年間は快調だった。
「オープン初月からお客様がつき、2年目になると電気代もガス代も、家賃も、材料費も、スタッフの給与も含め必要な経費をぜんぶ払っても100万円、残るんです」。
手元に残ったお金を数え、有頂天になった。
20代前半といっても経験は豊富。自信もある。人柄もいい。客にも従業員にも慕われていた。だが、経営はザル。原価30%だけがインプットされていた数字だった。そんな経営者にはきまって落とし穴があいている。
「3年目に入ってからです。いろんな人に誘われて、ゴルフはもちろん、外車も買って。夜な夜な遊びに繰り出します。そうなるともう店はダメですよね。私一人が、好き勝手な方向に突っ走って、振り返ってみたらもう誰もいませんでした」。
横瀬を慕っていたスタッフもいなくなった。常連客の足も遠のいた。代わりに店には、連日、閑古鳥が鳴いた。
父が訪れてきたのは、そんな時だった。
「あの時、兄にも大学に行かせるのに1000万円使った。だから、もういい。もういいから、ギブアップしなさいと言われたんです。ほんとうは私にも兄とおなじように大学に進んでほしかったんです。だけど、私は勝手に、この道を選択しました。それなのに、私の生き方も肯定してくれている父でした。だから、あの一言はよけいに心に響きました」。
人生最初の挫折。
まだ若い。まだ23歳。だから再起は図れる。いうのは簡単だが、当事者になればどうだろう。結婚も控えていたから、尚更、暗澹とした気持ちになったのではないか。
23歳、横瀬はギブアップし、天を仰いだ。・・・。
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