in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に“四川飯店”の民権企業株式会社 代表取締役社長 陳 建一氏登場。
父は、魔法使い。
陳氏が生まれたのは1956年1月5日。父はご存知の通り、日本の四川料理の父と呼ばれた陳建民氏である。建民氏が考案したエビのチリソースや麻婆豆腐は、いまや私たちの食卓をにぎわすようにもなっている。
「父の仕事場が、遊び場だったね」と陳氏。
父が中華鍋をふる。もくもくと湯気が立ち上る。中華包丁の音が小気味いい。食材が煮られる音。揚げられる音。料理人たちが交わす言葉。少年は、調理場の喧噪のなかで、食材と会話し、盛り付けられる瞬間の、料理人の声なき歓声を聞いていたはずだ。
「ほんとうはいけないんだぞ」と言いながら、出来上がったばかりの料理の味見をさせてもらったことも幾度かある。食べるのが好きだったこともあったが、陳氏が料理に興味を持ち、調理場を離れなかったのは、大好きな父の姿を近くで観ていたかったからだろう。
「まるで魔法みたいだったよね」と陳氏は振り返っている。学校のどんな勉強より、「料理」が好きだった。とはいえ、「子どもの頃から、将来は料理人になると決めていたのですか?」と質問すると、「いやぁ、それは違う。あの当時はみんなプロ野球選手でしょ」とさもそれが当然のように答えている。ちなみに、「フカヒレの姿煮」は小さいながらに「旨い!」と思ったそうだ。「生意気なガキだよねぇ」と付け足すことも忘れない。
父の動きを観て、料理の匂いを嗅ぎ、食材の音を聞く。そうして、鉄人は生まれた。
父の跡を継ぎ、料理人になろうと思ったのは高校生ぐらいから。玉川大学文学部英米文学科を卒業し、すぐに建民氏の下で本格的に四川料理の修行を開始している。
「うちの父は手取り足取り教えてくれるわけじゃないんだよね。とにかく、観ろ、匂いを嗅げ、音を聞け、なんです。混ぜ方や調味料を入れるタイミングなど、観ることでインプットし、真似ながらアウトプットする。同じようにならなければ何が違うのかを考える。そうした繰り返し。昔から料理本はありましたが、理論で料理はできないんだよ。料理人は音を感じること、食べること、そして料理をすることで初めて実力が付いていくんだ。ぼくは、そう思っている」。
陳氏はまじめに父を、真似た。しかし、一方で料理人の縦割りの、ともすれば理不尽な世界に違和感もあったという。陳氏は37歳で「料理の鉄人」に抜擢されているが、大学を出て15年。料理の世界では、ほかにもベテランは大勢いる。だが、この時すでに料理人として実力は広く知られ、四川料理の名店「四川飯店」の経営者としても、名をとどろかせていた。だからこその抜擢なのだろう。すでに「四川飯店」の社長となっていたのは、1990年、父建民氏が永眠したからである。
“四川飯店”の民権企業株式会社 代表取締役社長 陳 建一氏
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