in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社渡辺ハゲ天 代表取締役社長 渡辺 徹氏登場。
中・高から慶應ボーイ。
渡辺が生まれたのは1960年。昭和35年である。戦後復興の足音が高らかに鳴り響く時代。数年後には、東京オリンピックも開催されているから、東京は経済の発展を一手に享受していたことだろう。とはいえ、いまと比較すれば大都市というイメージにはほど遠かったのでないか。多くのひとたちが職を求め、東京に足を踏み入れたのもこの時である。そんななか名店の3代目として生まれた渡辺は何不自由のない生活を送った。
「小学生の頃からテストの点数は良かった。中学受験し、慶應大学の付属で中高一貫の学校に進みました。将来については深く考えてもいなかった。父からもやりたいことをやれ、と言われていましたから」。
大学時代には、理工学科を専攻しエンジニアをめざしていた父である。
祖父が体調を崩したことで、2代目店主となるのだが、その分、息子には好きな道を進ませてやりたいと思われていたのではないだろうか。
中学から高校に進んだ渡辺は、落第の危機にも遭遇するが、無事、大学に進学する。
アラブ首長国連邦へ。
高校時代には1年間だけ文芸部にいたこともある。小説を書いたこともあるそうだ。芝居や映画に興味を持ち、バイトもはじめて経験している。大学では「法律の勉強会」なるサークルに入り、法律を勉強したが、弁護士には興味が持てなかった。メーカーを志望し、大阪に本社を構える日立造船に就職することになる。
ちなみに、「法律の勉強会」の出身者にはそうそうたるメンバーがおり、自民党の石破茂幹事長もその一人とのことだ。一方、就職した日立造船は、造船会社というイメージが強いが、現在の事業は、環境装置、プラント・機械・プロセス機器・インフラ・精密機械等の設計、製作等となっている。日本国内にとどまらず海外にも多くの拠点を有するグローバルカンパニーだ。
渡辺も入社2年目に、アラブ首長国連邦(UAE)への海外出張を命じられた。これが一つの転機となった。・・・。
株式会社渡辺ハゲ天 代表取締役社長 渡辺 徹氏
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
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