in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”にジローレストランシステム株式会社 代表取締役社長 池田健司氏登場。
奔放だった学生時代
子煩悩で優しい両親の下に池田は生まれた。二人兄妹。第一子で長男ということからも、特に寵愛を受けたのであろうことは容易に想像がつく。父は浅草でまじめに米の卸問屋を営み、母も働き者だった。そんな池田家では毎週日曜日に母が家事を休む日という決まりがあり、当時では非常に珍しい外食が習慣になっていた。そんな恵まれた家庭で育ったことで、池田はわがままに育っていく。
中学からは中高一貫の私立校。進学校だったが、公立校と違い校風は非常に自由だ。「これでますます調子に乗って好き放題(笑)」とのとおり、高校ではビートルズに惹かれて長髪にし、同級生たちと組んだバンドでマイクを握った。さらに16歳で軽自動車の免許を取得すると、高校へは愛車のスバル360を乗り付け、放課後は湘南まで飛ばしたこともあったという。
「夜の赤坂見附でカーブを曲がりきれずに横転事故を起こしちゃったことがあります…。大怪我で車も大破しましたが、それでも懲りない馬鹿者でした」と、バツの悪い顔をする。
ちなみに、学校側にこのことは知らされなかった。処罰を危惧した父が、池田の同級生たちに内緒にしてほしいと頼んでまわったのだそうだ。「親も甘かったが、私もとんでもない親不孝者です」。今でこそそう思うが、好き放題と親不孝はまだまだこれだけでは済まなかったのである。・・・。
ジローレストランシステム株式会社 代表取締役社長 池田健司氏
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
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