in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社バイタリティ 代表取締役 岩田 浩氏登場。
4番、ピッチャー。
岩田が生まれたのは、1971年の浅草。父親は建築設計事務所を営む設計士で、母親は編み物の先生をされていたそうだ。2つ離れた兄が1人いる。
岩田からみれば教育熱心な両親だった。英語、水泳、絵画と習い事にも行かされた。どれもピンとこなかったが野球は熱心に取り組んだ。リトルリーグに入り、軟式ではなく小学生のうちから硬球を追いかけた。入部早々頭角を現し、4番でピッチャーを務めるようになる。キャプテンではなかったが、チームをひっぱった。中学になっても野球はつづけ、2度、全国大会に出場している。
野球も巧かったが、それ以外のスポーツもできた。中学1年生、陸上部の大会に駆り出され、走り幅跳びでいきなり5メートルを超える大ジャンプを披露。関東で8位の成績を残している。これが冒頭の話。
バネが違うのだろうか。これが「天与の才」という奴なのか。
抜群の運動神経のおかげで、スポーツではトップクラスの成績を残したが、中学2年あたりから学業のほうは急下降。本人曰く、「遊んでばかりいて、勉強はまったくしなかったから」だそうである。
あっぱれな選択。
「グレ始めたのは、中学2年生ぐらいからです。いま思えば、親に対する反抗心というのもあったんでしょう。悪い連中とも遊ぶようになって。結局、高校も行かなかったんです。何も考えていなかったんでしょうね。いくつかの高校から推薦で誘ってもらっていたんですが、もったいないことをしました」といって岩田は笑うが、何も考えていないわけではなかった。むしろ、高校生活を考えた時に、進学する理由を見いだせなかったというほうがただしい。「推薦」の2文字のなかにも、大人の利害が見え隠れした。純粋な中学生が反発するのも、頷けなくはない。
だが、いくら反抗しようと、反発しようと高校進学をあっさり諦めてしまうことなど、なかなかできるものではない。とはいえ「捨てる勇気」を持つことは、人生において大事なこと。「岩田の中卒、人生」。思えば、あっぱれな選択だ。・・・・。
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