in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”にキーコーヒー株式会社 代表取締役社長 柴田 裕氏登場。
創業した祖父
明治中期から、日本でもコーヒーを提供する店舗が増えはじめ、後期には東京・銀座に「プランタン」をはじめとした喫茶店が開店していた。中でもコーヒーの大衆化に最も貢献したのが「カフェ・パウリスタ」である。ブラジルコーヒーの販路拡大とPRのために開かれた喫茶店であった。
明治41年を境に日本からブラジルへ渡った移民の多くがコーヒー農園で働き、その報償としてブラジル政府から無償のコーヒー豆が提供された。その豆を用いたコーヒーを低価格で提供した「パウリスタ」は、最盛期で20数店舗。従業員も1000名を越えるほど繁盛することになる。
その「パウリスタ」で働いていた一人が、柴田の祖父にあたる柴田文次だった。コーヒーに計り知れない事業の可能性を見出した文次は、1920年(大正9年)、19歳で横浜市中区にキーコーヒー社の前身となる「コーヒー商 木村商店」を開業(その後、1928年(昭和3年)に木村コーヒー店に改称)。コーヒーの製造と販売、世界のコーヒーやコーヒー器具の紹介、さらにはコーヒーシロップなど関連商品の開発やコーヒー農園事業にまでをも手がけたのである。横浜で生まれ育ったゆえのハイカラさと、底知れぬ情熱やバイタリティを持つ創業者だった。・・・・。
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