in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”にSERVERS株式会社 代表取締役 中田琢也氏登場。
学生、店長。プールバーの経営に熱を上げる。
静岡県磐田市は、静岡県の西部の都市で、かつては遠江国(とおとうみのくに)と呼ばれていたそうだ。いまではJリーグのジュビロ磐田の本拠地として知られている。中田が磐田市に生まれたのは1965年。日本が高度経済成長に足をかけた頃だろうか。
小学生の中田は、どちらかと言えば平凡で大人しいタイプだった。「リーダーシップというのに興味がなかった」と本人も言っている。エンターティナー、もしくはアミューズメントの分野を切り開いてきた、いまの中田からはいささか想像しにくい話である。そんな風に思いながら、人生の分岐点は?という質問を投げかけてみた。すると話は、大学時代まで一足飛びに進んだ。
「学生時代にゲーム機メーカーのタイトーさんが経営するプールバーでアルバイトを始めたんです。アルバイトなんですが店長を任され、のめり込んでいくんですね。年配の人たちにビリヤードを教えて贔屓にしていただいたりして。業績がアップすると評価され、ますます楽しくなっていきました。いま思えば、これが私の、アミューズメント人生の始まりなんです」。
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