in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ジェイプロジェクト 代表取締役 新田治郎氏登場。
本文より~
さらば、京都。
「別に怒られたわけではないんです。『継ぐ意思がないなら、家を出ろ』と。そうじゃないと、みんなにケジメがつかないということでした」。
「継ぐのか、継がないのか」を15歳の少年に迫る。家を追い出されたという話を抜きにしても、それ自体、過酷だ。新田が東京に行く決心をしたのは、この時だったのではないだろうか。逆にいえば京都を捨てるという決心である。
「東京」という言葉は胸にしまい込み、京都の「堀川高校」に進んだ。もちろん野球部に所属。だが、かなり弱かった。3年が過ぎる。
新田が高校3年の年といえば1983年である。いま振り返れば、バブルに向かって日本経済が駆け上がっていく時である。堀川高校を卒業した新田は、バブルを生み出す「東京」へ向かった。「東京に行って、いまでいうフリーター生活を始めました。TVドラマの小道具もやりました。いろんなバイトをして生計を立てていたんです」。
明確な目標があったわけではない。その日暮らし。そういう言葉もぴったりだった。新田にも、そんな時代がある。だが、ある日、運命の人に出会う。「あることがきっかけで、当時、黒服の頂点に立っておられた成田勝さんにお会いするんです」。
正確に言うと会うというより、遠くから「あれが、成田さんだ」と教えてもらっただけ。だが、その一瞬の出会いが新田の運命を決定づけることになる。「格好良かった。背は184センチぐらいで、完璧な八頭身。ルックスはもちろん抜群です。とにかく黒服の頂点に立っている人なんです。マハラジャだけで150店舗はあったんですから、その頂点に立つことがいかに凄いことかわかりますよね」。・・・・。
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