in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”にワイエスフード株式会社 代表取締役社長 緒方正憲氏登場。
トラックの運転手だった父が開いた小さなラーメン店。
博多湾から東に向って道がまっすぐつづいている。地図で確かめると、福岡インター近辺で201号線となり、何度も蛇行しながら半島を横切り、周防灘に抜ける。福岡市、飯塚市、田川市、行橋市など、福岡県内の主要都市を通ることもあって、山間部が多いにもかかわらず交通量は多く、大型車の行き来も多い幹線道路となっている。
この201号線沿いに、一軒のラーメン屋が産声をあげたのは、1970年のこと。1970年といえば万国博覧会が開催された年であり、ファストフードやファミリーレストランが次々誕生する、飲食産業にとってはターニングポイントとなる年でもある。
日本マクドナルドが銀座に華々しくオープンする一方で、201号線沿いにオープンしたラーメン店は、当初、店名すら決まっていなかったそうだ。「もともとトラックの運転手をやっていた親父が、22歳で開業したお店です。全部、手づくりでトタン屋根だったそうです。たまたま坂を上がる峠のてっぺんにあって、お客様が山小屋みたいだ、といったことがきっかけで、『山小屋』と命名したそうです」と2代目社長である、緒方はそういって笑う。
オープン当初こそ、客数は少なかったが、運転手の口コミなのだろう。「山小屋」は、次第に繁盛店となり、本場博多や久留米のラーメン通たちの間でも評判になる。ところで緒方が誕生したのは1969年だから、「山小屋」オープン1年前。店を開いてからは、父も、母も交替で店にでた。ときには母の背に負われ、緒方も店に顔をだしていたそうだ。・・・・・。
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