in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に 株式会社夢現 代表取締役社長 佐藤正明氏登場。
本文より~
凸凹兄弟。
佐藤が生まれたのは、1976年。正確を期すと、生まれは母の実家の北海道、育ちは千葉県市川市となる。もっとも、本人の記憶には市川市での出来事しかない。父は、新聞社の記者。兄弟は3人で、兄と妹に挟まれた次男坊である。「どっちが、だれの遺伝子をどう受けついだのか。長男とは2つ年が離れているんですが、彼は小学校の頃からガタイがでかくて。正義感がつよく、柔道もやっていたんで向かうところ敵なしのヒーローだったんです。一方の私は、中学入学時で123センチ、体重25キロでしたから稀にみる小粒。2人で通学していると、まるで凸凹コンビです。ただ、からだが小さいことをコンプレックスに思ったことはなかった。兄と比較されても、しかたないですもんね」。勉強は、理科が得意だった。だが、それ以外に興味はなし。テストをやれば、理科の点数は学内でもズバ抜けていたが、それ以外の点数と合わせると平均以下に落っこちてしまうほど、落差があった。凸凹兄弟の凹は、そういうタイプの少年だった。
ブラスバンドに熱中。
背が低いことは、悪いことばかりではなかった。兄と同学年の女の子たちから、かわいい!と言われた。兄と比較されると尚更、かわいらしさがきわだった。もちろん、正義のヒーローの弟だから、誰も手を出さない。悪くない小・中学時代だったが、兄が中学を卒業すると雲行きがいっぺん。いじめられる、という経験もした。中学時代には、バンドを組んだ。高校に進学し、自己紹介でその話をすると、担任が、熱心にブラスバンド部に勧誘するようになった。「うちの担任はブラバンの顧問だったんです(笑)。毎日、放送で呼び出され、口説かれました」。才能もあったのだろう。高校から始めたにも関わらず、頭角を現し、3年時には部長にも選ばれている。「入部当時は60人ぐらいで、男子は5名だけのクラブでした。その5人の先輩がもう無茶苦茶で、ワルな高校生だったんですが、クラブだけには毎日、来るんです。しかも、5人全員が、ソロの大会でも勝ち残れるぐらいの腕前です。かっこいいと言えばかっこいいでしょ。私は、高校からのスタートなので、多くの楽器に挑戦せず中学でもやっていたドラムに絞り、基礎の練習を繰り返しました」。ブラスバンドで千葉といえば、習志野高校が有名だ。「そうですね、習志野にはとても敵いませんでしたが、県ではいつも5位くらいには入っていました」。ちなみに、高校卒業時で身長は165センチ。けっして大きくはなかったが、女の子にも良く騒がれたそうだ。今度は、かわいいではなく、かっこいい、と。
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
コメント