in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に 株式会社スターツ 代表取締役社長 柴田育男氏登場。
中央大学進学。セブン-イレブン・ジャパン入社。
あれほど好きだったバスケットボールだが、大学になると部に所属する程度の距離になってしまった。「もっぱら高校に行って後輩を教えていました」と柴田。距離が離れたと言っても、1年目は通学範囲でも寮生活と決まっていた。おなじバスケ部の仲間たちと枕を並べた。大切な仲間が何人もできた。振り返れば貴重な4年間を過ごしたことになる。
中央大学出身で、体育会系ともなれば就職は有利だったはず。いくつかの企業を受験し、柴田は結局、当時、急成長中の会社、株式会社セブン-イレブン・ジャパンに就職することにした。「日経新聞などでも、ずいぶん取り上げられていて興味があったんです。サントリーさんなども受けたんですが、そちらはさすがにアウトでしたが、セブン-イレブンのほうは無事、合格できたんです」。サラリーマン生活がスタートする。
熱血漢、セブン-イレブンを去る。
「まず、直営店で研修を受けるんです。当時、直営店は40店舗ぐらいだったと思います。1年と少しで、店長に昇格します。熊本の店にも配属されたことがあるんですが、物価がぜんぜん違うのに驚きました。東京では400円ぐらいの弁当が売れ筋だったんですが、むこうではぜんぜん売れない。高すぎるんです。そういったエリアによる違いも理解しながら、SV(スーパーバイザー)になっていくんです」。
柴田がいう1年と少しでの昇格は、同期のなかでも最速。成績もつねにトップクラスだった。「そう張り切るなよ」。そんな声が聞こえてきたのは、4年目を迎えようとしていた頃だ。「昔から、なんでもマジメにするタイプでしたし、高校時代に、イヤというほど真剣にやることを教えてもらっていましたから、手抜きなんてできない。周りからは、煙たがられていたんでしょう。ただ、『張り切ったらダメ』と言われて、『そうですか』というのは可笑しい。上司の一言に腹が立たって、単細胞だから後先を考えず辞表を叩きつけてしまったんです。ありがたいことに引き止めてくださいましたが、結局、3年間勤めたセブン-イレブンを退職しました」。「わずか3年間でしたが、貴重な経験をさせてもらったと思っています。オーナーの方々と触れ合うこともできましたし、数値管理などの経営手法をマスターできたのも大きな財産になったと思います」。・・・・。
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