in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社スケール 代表取締役 寺澤賢二氏登場。
努力しなくても、お金には困らなかった。
高校を卒業と同時に独り暮らしを開始した。割のいいバイトを探し、クラブで勤め始める。「当時はバブル期。チップを山のようにもらいました。バイト代は月15万円だったんですが、チップが凄くて、月に20~30万円になりました。チップをいただくために、サービスに精を出したといえば、格好いいんですが、努力した記憶はまったくない。そういう時代だったとしかいいようがありません。いまの若い人には考えられないんじゃないですか」。お金に困らないから、辞めようとも思わない。しかし、ある社長に誘われて新たな仕事にチャレンジすることになった。
月収、ウン百万円の生活は、バブルと一緒にピリオドを打つ。
「クラブに良く来るお客さんの一人に不動産会社の社長さんがいらっしゃいました。ある時、うちに来いよって誘ってもらって。それで、不動産の営業を始めたんです。不動産バブルの時代でしたから、契約はスグに取れました。マンション一棟やアパート一棟というお客様もいらっしゃったので、億単位の売買になって、インセンティブだけで月に数百万円という時もありました。これも、いまじゃ考えられない話ですよね」「ただ、3年経った頃からでしょうか。契約が上がらなくなります。私だけじゃなく、全員です。インセンティブがなくなると、給与は激減です。会社もニッチもサッチもいかない状態になっていました。私は、結局4年勤務して25歳で会社を辞めました」。寺澤が25歳といえば、1992年のこと。バブル経済が終焉を迎えたと言われている年だ。寺澤の、はなやかな時代も終わりを告げた。・・・・。
コメント