in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に エフ・エス・イー株式会社 代表取締役社長 スニル・クルカルニ氏登場。
インドの名門大学プネー大学出身のエリートエンジニア。
プネー市は、インド・デカン高原に位置するマハラシュトラ州で2番目に大きな都市。「東のオックスフォード」として知られる学術都市でもある。スニル・クルカルニが、プネー市に生まれたのは1971年。日本では、万国博覧会が開催された翌年である。当時のインドの様子はどうだったのだろう。
「いまのインドとは、ぜんぜん違いますね。まだまだ貧しい国でした。父は、政府関係の仕事をしていましたが、それでも裕福ではない。ミドルクラスのなかの下のほうです」。
「インド人は子沢山というイメージがあるかもしれませんが、いまでは2人ぐらいしか産みませんよ。子どもの教育に注力しているからです。一生けんめい勉強して、海外で成功する。私たちインド人にとっては大事なことなんです」。
スニル・クルカルニは本人が言う通り、けっして裕福な家庭の出ではない。だが、いくつものハードルを越え、名門のプネー大学に進んでいる。機械工学部、CADやデータベースなどのプロジェクトを選択し、コンピューター関連の研究に従事。卒業後はプネー市にあった、アメリカ籍の研究開発センターに就職した。
エンジニアの勉強を続ける一方で語学習得にも取り組んだ。「外国語を学ぶ夜間コースがありました。1年間100時間コース。そのフィーが日本円にすればたった年間700円です(笑)」。
スニル・クルカルニは、日本語を選択。当時、日本に対するイメージは、ソニーなどを筆頭に優秀な企業が多くあり、優れた国だったということだ。メイドインジャパンを持っているだけで、「凄いね」と言われたという。
スニル・クルカルニが、日本語を選択したのは、そういう背景もあってのこと。この選択がやがて、日本に渡るきっかけとなる。・・・・。
コメント