in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に日本サブウェイ株式会社 代表取締役 伊藤 彰氏登場。
リトルリーグで白球を追いかけた少年。背丈が足らず断念。
伊藤が生まれたのは1958年の横浜。いまの新横浜駅近く。当時はまだ開発が進んでおらず、田畑が広がっていたそうだ。「私も小さな頃、畑仕事を手伝ったことがある」と伊藤。1958年といえば、まだ新幹線が通る以前の話である。
横浜は母の出身地で、母方の親族に囲まれ少年期を過ごしている。「祖父が建設会社を興しました。母方の親戚が集まって、会社を運営。私の母を含め、3家族が、徒歩圏内に住んでいました」「私も、良く祖父の家に行きました。いまでもいちばん影響を受けたのは祖父だと思っています」。祖父は厳格だが、優しかった。大人たちと区別することなく、対等に接した。それが嬉しかった。
伊藤の父は、中小メーカーのサラリーマン。大の野球好きで、暇があると熱心に伊藤に野球を教えた。父の勧めもあったのだろう。小学2年生から野球を始めた伊藤はリトルリーグに入り、主将を務めるまでになっている。スポーツ好きな父から遺伝子を受け継いだのだろう。運動神経は抜群だった。「でも、背丈が足りなかったのです。小学校6年生ぐらいになると、170や180センチの奴もいました。私は140センチ足らず。とても敵わないと思って中学に入ると卓球に転向します。現ジャイアンツの原監督とも同世代で、小学校の頃に1度だけ対戦しました」。選手層が厚かったのだろう。草野球とはレベルも違えば、この決断も当然だ。普通の軟式チームなら、伊藤のこの時の決断はなかったはずである。・・・・。
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