『武田あかねの食の応援団』9月のゲストは“株式会社プリントモ 代表取締役社長 宋(ソン) 基東氏”です。
武田
話を伺っているともう敵なしという感じがしますが、少し、いまの事業と離れ、宋社長の昔話も聞かせてください。どんな風に育ってこられたんですか?
宋社長
私は、1975年、ソウルとプサンのほぼ真ん中にある大田(デジョン)で生まれました。父は農家を営み、兄弟は3人いました。男ばかりで、私は末っ子です。私が小学校5年生の時に、父を亡くしました。それからは6歳違いの長男が親代わりになって育ててくれます。彼は中学を出るとソウルに行き、やがて家族をソウルに呼びます。母も働き、決して裕福ではありませんでしたが、仲のいい家族でした。さきほど、兄が印刷ショップをやっているとお話しましたが、彼はソウルで印刷の技術を修得しました。私は、この、良く働く兄の背中をみて育ちました。
武田
韓国には兵役の制度がありますね。宋社長も兵役に服されたのですか?
宋社長
韓国では男子であれば、全員、兵役に服さなければいけません。私も、体験しています。私は、韓国憲兵教育部隊教官として従事しました。それは、それは厳しい訓練が行われます。ただ、その時の体験はビジネス社会に出ても無駄にならないと思っています。
武田
韓国の人とお話していると、とてもパワーを感じます。そういう体験をされていること自体、韓国の人たちの強さの秘密なのかもしれません。
宋社長
もう一ついうならば、申がそうなんですが、彼は、貿易協会という国の機関で鍛えられています。全国からIT関係の優秀な人間を集め、1年から1年半かけ育てるんです。国を挙げたこういう活動が、先端の分野でも、海外でも通用する韓国人を育てているんだと思います。
武田
ところで申副社長とは、どちらでお知り合いになられたんですか?
宋社長
「日職会」という韓国から日本に来て働いている人たちの会があり、そこで出会いました。およそ120人、120社ぐらいの会ですが、サムスンなど大手からベンチャーまでさまざまな企業や人が顔を揃えています。申と出会ったのもこの会で、最初は兄貴、弟みたいな関係だったんです。もともと彼はITに長けていましたから、事業を始める時に1年がかりで口説いて一緒に会社を立ち上げたんです。それが2008年。今年が4期目です。
武田
お2人で始められてどうでしたか?
宋社長
申にはとても申し訳なく思っているのですが、実をいうとスタッフたちになかなか給料が出せない状態が続いたんです(笑)。申には、申の持っていたお金まで出させました。奥さんも、子どももいましたから頭が上がりません。でも、そうやって頑張ってきたからこそ、いまがあるんだと思うんです。2人は戦友です。
武田
なかなか軌道に
乗らなかったんですね?
乗らなかったんですね?
宋社長
薄利多売です。最初はブランドもあってないようなものだし、私が韓国人だったこともあるんでしょう。飛び込んでも、なかなか相手にしてもらえません。日本語も流暢に話せませんでしたから。でも、そうですね、みなさんも良くご存じのヨン様が登場してから少し見方が変わりました。好意的に受け取られるようになってきたんです。もう、ヨン様、様です(笑)。
武田
いまではドラマはもちろんK-POPなども凄い人気です。
宋社長
そうですね。韓国人としては素直に嬉しいですね。
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