in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社リトル沖縄オーバーシーズ 代表取締役社長 小嶋達典氏登場。
「がんこ」を経営する小嶋家の長男として誕生する。
いい意味でも、悪い意味でもついて回る。小嶋家の長男という肩書である。むろん、それを自覚するのは大人になってからだろうが、小さな頃から父の商売に対する情熱を感じながら育ったのは間違いない。あれこれ言われず自由だったと、小嶋達典は子ども時代を振り返るが、その一方で多忙な父をいつも見詰めているような少年ではなかったか。ともかく、今回、ご登場いただく戦士は、あの「がんこ」を経営する「がんこフードサービス」の現会長、小嶋淳司氏の長男である。
小嶋達典が生まれたのは1968年12月、万国博覧会が開催されるおよそ1年前だ。日本は、高度経済成長の波に乗り、外食事業もまた産業として位置づけられるようになっていく。この点でいえば、父、淳司氏の努力があったのだが、少年、小嶋にはもちろん、父の熱い思いはまだ理解できない。もっぱら剣道に憧れた少年だった。「小1から剣道を習い始め、中学3年生まで続けました。もちろん、私の意志です。高校は関西大倉高校という私立に進みました。もう剣道はいいかな、とアメリカンフットボールか、ラグビーかと迷ったんですが、アメリカンのほうは丸刈りだったんで、じゃぁラグビーだ、と(笑)。でも、このラグビー部がキツかった。36人が入部して、1年後まで残ったのは私を含めたった7人でした」。
このクラブ活動の厳しさに耐えることで、少年、小嶋は徐々に逞しい青年に育っていくのだが、ここまで小嶋と料理の接点はあまりない。「中学の時にがんこでバイトをしていたぐらいでしょうか」。高校になるとクラブが忙しく、バイトをする暇もなかったそうだ。・・・・・・。
株式会社リトル沖縄オーバーシーズ 代表取締役社長 小嶋達典氏
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