in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に型無株式会社 代表取締役社長 矢野潤一郎氏登場。
日本の中学生、バンクーバーに旅立つ。
もともと商社マンだった父が、会社をスピンアウトしてしまう。ここから矢野家の、新たな物語がスタートする。「ぼくが中学2年生の頃です。父は、すでに会社を辞めて、外国人向けの日本語教師を務めていました。そのとき、バンクーバーの友人ができたのがきっかけで、父がバンクーバーを好きになり、息子の教育にもいいということで一家、3人、移り住むことになりました」。「父は会話にも不自由しませんでしたが、ぼくや母はたいへんです。ぼくは日本の中学1年生の英語レベルでしたし、母はまた語学が堪能なわけではありません。特に母は、向こうの人との接点もない。ところが、しばらくすると母がいちばん馴染んでしまうんですが(笑)。ともかく、半年でなんとなく内容が聞き取れるようになり、1年で会話もできるようになりました」。語学以外にも、文化の違いにも矢野少年は驚いた。「中学生になればもう大人と同じ扱いなんです。タバコも自由で、教師と生徒が一緒に喫煙するのもめずらしくありません。迷惑さえかけなければ、教室で音楽を聴くのも自由です。カリキュラムも日本の大学のように自分で判断して授業を選択するんです。ぼくの場合は、最初はわからないだろうって選択する科目を学校側が選んでくれました」。中学2年といえばまだ14歳である。ともかく14歳の矢野少年は、それまで暮らしていた日本とは異なる文化・風習のなかで、頼りなげなものの、次の一歩を確実に踏み出したことになる。・・・・。
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