in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社浜倉的商店製作所 代表取締役商店製作長 浜倉好宣氏登場。
京都の玄関口にあるお店を18歳の少年がプロデュースする。
高校に進学した浜倉は、学校帰りに毎日、寄るところがあった。餃子の王将。「時給が良かったんです。周りの人はいかつい人もいましたが、可愛がってくれました」。王将の次には、当時、一斉を風靡したプールバーでアルバイトをした。このプールバーを経営する社長(当時34歳)が浜倉を新たなステージに連れ出すことになる。「食事に誘われたんです。京都駅のなかにある『お茶漬けととんかつ』のお店で、正直、京都駅といえば京都の顔なのに旧態依然で活気がなくて、なんだって気がしました(笑)。とても残念な気がしました」。その店がのちに、浜倉初のプロデュース店舗となる。高校を卒業後、その社長の下で仕事をするようになった浜倉は、古びた『お茶漬けととんかつ』の店を、観光客をターゲットにした<京料理をお膳ものにし1000円くらいで出す>斬新な店にリニューアルするアイデアを出した。「社長に話した翌日には、料理人と工務店の人が社長から言われたからといってやってきて、どんな店にすればいいのかを私に聞くんです」。当時、18歳。そのときの社長は、浜倉に何を見ていたのだろうか。ただ、浜倉には社長の気持ちを推し量っている余裕すらなかった。10歳以上年上の料理人たちとぶつかった。彼らと真っ向からぶつかりながら、いまのニーズにあった料理について浜倉なりの考えを主張した。真摯な人柄が、次第に頑固な料理人たちを動かしていく。そのうちに、個人的な付き合いまで深まり、彼らの推薦で当時、参加することもむずかしいとされていた「ホテル・レストランの研修会」に参加することまでできるようになった。・・・。
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