in-職(いんしょく)ハイパーの“クロスα”にがんこフードサービス株式会社 会長 小嶋淳司氏登場。
和歌山県上富田町。観光名所である白浜に接し、熊野古道に通じるこの町に、2代続く、小さなよろず屋があった。がんこフードサービス株式会社会長、小嶋淳司氏の実家である。
小島氏が生まれたのは1935年7月16日。
どんな少年時代でしたかという質問に、「川で泳いでばかりいた」と小嶋氏。6人兄弟の末っ子。「いちばん上とはずいぶん歳が離れていました。のちのち、このいちばん上の姉のご主人が、わたしの親代わりになるんです」。
「上富田町」を地図で調べてみると、和歌山県の南西部に位置していることがわかる。太平洋の海水が瀬戸内海へと流れていく紀伊水道に沿って南西部の海岸は続く。東北は田辺市、西南は白浜町に隣接した上富田町自体は海に面していない。代わりに中央部を富田川が流れている。熊野古道「中辺路街道」の入口でもある。「気候は黒潮の影響により、年平均気温18度と温暖」と町のホーページに記されていた。 続き
商人の家系で育ったとはいえ、若干17歳。かじ取りはうまくできたのだろうか?
「分からんことだらけです。いちばん分からへんかったのは、なんでウチで商品を買うてくださるかです」。答えを探すために、少年店主は、質問魔になった。
「商品を買うてくださるお客さんに、なんで買うてくださるんですか?って、失礼な質問をするんです。だけど、聞かへんかったら分からへんでしょ。だから、次から次に尋ねまくるんです。ときには、じっとお客さんの動きを観察したりしましてね」。「で、なるほどなと、ようやく合点がいったのは2年後のことです。『どこよりもいい物を、どこよりも安く』。それがウチで買うてくださる理由やったんです。これが商売の鉄則や、と腹に落ちました」。たしかに、シンプルな答えだが、このとき気づいた鉄則は、小嶋氏の生涯の財産となる。 続き
融資のおかげもあって、小嶋氏の思いは具現化する。よろず屋はますます繁盛した。この店を兄に任せ、小嶋氏自身、京都に向ったのは、店主となってから4年半後のことである。同志社大学、入学。 続き
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