in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ミュープランニングアンドオペレーターズ 代表取締役社長 吉本隆彦氏登場。
学生時代早くも、店舗マネジメント、オペレーションの才を発揮する。
「小学生時代はどちらかといえば内向的な性格だった」という吉本だが、学生の頃にはスポーツにも、勉強にも、そしてもう一つアルバイトにも積極的に精を出す青年になっていた。「日本の大学にいた3年間は、父親が経営していたDQ(デイリークイーン)というアイスクリーム店ではたらいていました。百貨店の地下に店を構えている高級なアイスクリーム店で、私は主に神戸地区の、百貨店などにある店の管理をしていました」。吉本が20歳前後のことだから、1975年前後。いまのようなカラフルなアイスクリームはなかった時代である。専門店もむろんない。「飛ぶように売れた」と吉本は語っている。とはいえ、想像以上の売上を実現できた理由は、時代が良かったからだけではないだろう。吉本の「商才」が若いうちから花開いていたといえるのではないか。もっとも、吉本の給料はわずか10万円程度に過ぎなかったようだが。さて、大学4年を目の前にして、兄の勧めもあり南カリフォルニア大学に編入する。その大学を卒業後も、アメリカに残り、米国に進出していたサントリーでアルバイトを開始。「『日本からわざわざ来たんだ』なんていいながら、お酒を売るんですが、そのときにさまざまな経験ができました。とくにラスベガスには大量のお酒が流れ込んでいくんです。夜と街がお酒を飲み干していく、という感じでしょうか」。青年、吉本がナイトビジネスのダイナミズムに引き寄せられていくのは、この時の経験があったからだ。 ・・・・。
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