in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社モトックス 取締役社長 平岡篤氏登場。
本文より~
平凡なサラリーマンになるつもりで入社した大手アパレル会社を3年で退職。
中堅企業で、経験のない酒類の卸営業を始める。
平岡が生まれたのは、1949年6月。出身は大阪府八尾市である。四人兄弟の末っ子。実家は、戦後から繊維会社を営んでいたが、のちにガソリンスタンドを経営するようになる。
実家が事業をしている場合、子ども達もそれを見習うかのように事業を興すケースが多い。むろん2代目や3代目として事業を引き継ぐケースも少なくない。しかし、平岡は、「平凡なサラリーマンでいい」と思っていたそうだ。実際、大学卒業後は、大手アパレルメーカーに就職。ごく普通のサラリーマンとして社会人生活を送り始めた。
平岡が社会に出た1972年といえば日本中に活気があり、経済も急上昇していた頃である。平岡が就職したメーカーも、入社当時360億円程度だった売上が、3年で1000億円を超えるまでになったそうだ。1970年に開催された万国博覧会が幕を閉じ、経済が立ち上がるにつれ生活が豊かになり、日本人の多くがファッションに目覚めた頃だった。海外ブランドも輸入され、色鮮やかな時代を迎える。平岡の営業数字も気持ちよく伸びていったに違いない。
そんなファンションの黎明期。大手アパレルメーカーで、誰もが憧れるような先端を走る仕事をしていた平岡だったが、会社が大きくなるにつれ、将来に疑問を抱き始める。平岡の言葉を借りれば、「先が見え、つまらなくなってしまった」のである。いまでいうなら、ベンチャー志向といえばいいのだろうか。ともかく平岡は、巨大組織で自己が埋没してしまうことを怖れ、小さくても自らが舵を取る可能性の高い企業にこそ、己の未来を託すべき何かがあるのではないか、と思うようになるのである。
むろん父親は猛烈に反対した。それはそうだろう。誰もが認める大手企業をわずか3年で辞め中小企業に転職するなど、当時でいえば信じられない冒険である。父の目には愚行以外の何物でもないと映ったのだろう。・・・。
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