in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社一家ダイニングプロジェクト 代表取締役社長 武長太郎氏登場。
本文より~
母親が始めたスナックで、受け取った1万円のチップ。大学進学を決めるまで。
武長が生まれたのは1977年1月24日。千葉県出身である。兄弟は2人。父は自営業を営んでいた。この父の事業が上手くいかなくなり、母が、スナックに勤め始める。子どもたち2人が家に残り、ある日、ストーブが原因で火事になった。自分たちの不始末以外、なにものでもない。にもかかわらず、怒られなかった。いつもなら、子どもたちを正座させ怒っているはずの父が、逆に謝っている。武長は改めて、両親の愛情を感じたに違いない。だが、この事件が両親の離婚を決定づけた。武長が小学校3年生の時だ。母親は、自ら店を経営し始めた。「中学生時代から母の店を手伝った」と武長。中学から高校へはエスカレーター方式で進学。武長は好奇心旺盛な青年に育っていた。
母のお店で鍵をかってに持ち出し、お客様のキープされているボトルを1cmずつばれないように友人と飲んだり、車を無免許で運転したり…。高校2年の頃、「母親の車に轢かれる」というのは、バイク禁止の学校で母親が語った作り話。実際はバイクで転倒し、1ヵ月入院することになった。この入院時に、自分のやりたいことはなにかと問い、ともかく大学に行って…と猛勉強を開始した。友だちはそんな武長をみて目を白黒させていた、そうだ。・・・。
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
コメント