in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社三光マーケティングフーズ 代表取締役社長 平林 実氏登場。
アメリカから押し寄せたファストフード。平林は、起業に走る。
平林の世代は団塊の世代とも言われる。学生運動が盛んな時代である。平林が入学した大学も休校状態がつづいた。平林は休校を利用し「定食屋」でアルバイトを行い、資金づくりに精を出した。時は1971年前後。1971年は「マクドナルド」の1号店が銀座三越にオープンした年。愛知県では「ケンタッキー・フライドチキン」の1号店が開店している。アメリカの進んだシステムが輸入され、日本の「食文化」に新たな幕が上がった年でもあった。平林は、そうした時代の移り変わりを皮膚感覚でとらえていく。大学を卒業した平林は和食割烹店で3年間修業し、1975年に奥さまと共に神田駅のガード下に4坪の定食屋を開いた。ここで注目したいのは、神田駅のガード下という立地だ。その後、平林は駅前超一等地を抑え、次々と出店を重ねていくことになるのだが、その戦略の突端がこの1号店の出店場所からも見て取れる。多店舗展開も早く、1年半後に2店舗目を「下北沢」に出店。3店舗目も立ち上げた。その間、「定食屋」は「牛丼とカレーの2品を扱う店」にかわっていた。・・・。
株式会社三光マーケティングフーズ 代表取締役社長 平林 実氏
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