in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”にアジアンディレクトリー株式会社 代表取締役社長 湯山ともを氏登場。
東京で一人暮らしを開始する。
人はいずれ故郷を離れる。大学進学であったり、就職のためであったり。湯山の場合は、やはり音楽が理由だった。バンド活動に熱を入れ、アルバイトで生計を立てる日々が始まる。コンサートやライブではもちろん食べていけない。でも、アルバイトばかりでは、練習にも支障がでる。どう上手に続けていくか。悶々と悩む日もあったに違いない。バンドの仲間連中ともいつまでも一緒にやっていくことはできない。それぞれ生活があるからだ。26歳の時、湯山は一つの決断をした。バンドの解散である。「そうしないともうみんなが食べていけなかった」という。だが、その解散コンサートで冒頭に書いたように映画デビューの話が持ちかけられるのだ。競演した役者のなかには、有名な名前もでてきた。そのうちの一人から演技も教わったそうだ。だが、役者デビューを果たし、順風満帆なスタートを切ったように見えたが、当時は映画にかける費用も安く、湯山たちのギャラは、「サラリーマンとかわらない」ほどだったらしい。おまけにある居酒屋で、著名な映画監督と湯山は、バトルを演じている。「周りはピリピリしていて結局、後で事務所から大目玉を食らうのですが、ぼくはその監督のことを知らなかったし、挨拶をしないぐらいで『生意気だ』なんていわれる筋合いもなかったですから、なんだこのやろうってことになりましてね」と湯山は、その時を振り返る。相手が誰であれ、かまうことなく正しいと思ったことを貫く、湯山の精神がこの話からも伺える。 ・・・・。
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