第六回 『商売上手、商売繁盛のカリスマ性』 ㈱商売科学研究所 所長 伊吹卓
■商売上手、繁盛、人気
昔は、「商売上手」という言葉がよく使われました。「商売繁盛」という言葉は今でもよく使われています。少しニュアンスが違いますが「人気」という言葉があります。人気者、人気商品というように使われます。人気が出ると人でも、商品でも、よく売れます。
舟木一夫が歌手になったばかりのことです。まだ前座で歌っていました。ところがお客さんが舟木の歌には妙に感動してノルのです。それに気づいた座長は即座に舟木を主力歌手に抜てきしたのでした。そういう記事を読んだとき、人気というものの不思議さに興味を持ったのでした。
「心の琴線(きんせん)にふれる」という言葉があります。琴線とは「感じやすい心情。心の奥にかくされている感情」(『広辞林』三省堂)のことです。若いころはこの琴線が敏感なものです。だから歌が好きなのです。歌謡大会になると、たくさんの青年が集まって、キャーキャー、ワーワーと騒ぎ立てます。あげくの果てに失心する人も出てくるのです。
このように人間には、感じやすいところがあるのです。そういうことに興味を持つと、しだいにその感覚が鋭くなります。そして、お客様の心の動きをつかめるようになり、売れるようになります。
私は、十代のころから「商売上手な人」に興味を持っていました。しかし、当時は、さっぱりわかりませでした。わからないまま、商売上手な人に注目していました。最初に気づいたのは「商人に学問はいらない」という言葉でした。
名古屋にいる私の叔父は商売上手な人でしたが、私と同じ年齢の息子を大学に入れませんでした。金はいくらでも持っていました。「商人には学問は有害だ」とさえ確信していたのです。息子は、勉強が好きな子でした。そこで家出までして、親に反抗しました。それでも許しませんでした。その息子はりっぱに成長し、大きなビルを建てるほどになりました。
私は、ますます商売上手に興味を持ちました。だから『人気の研究』(伊吹卓 日本実業出版社)『再発見・日本人の購買心理』(伊吹卓 日刊工業新聞社)など数十冊の本を書きました。それなのに「カリスマ美容師」「カリスマ店員」などという言葉が流行するようになるまで、もう一つ納得できませんでした。
■詐欺にあってカリスマ性に気づく!?
カリスマ美容師という言葉がマスコミに登場したのは2000年のことだったと思います。しかし、その言葉を見たとき、私はもう一つピンときていませんでした。ところが一つの事件に出会ったあと、しばらくして(あれがカリスマ・セールスの実態なのではな
いか?)と気づいたのでした。
その事件は、私の事務所に訪れたあるセールスマンの名刺から始まりました。来客でいそがしい日に来たセールスマンが、名刺を置いて帰っていきました。お客さんが帰ってから名刺を見ると、伊藤銭一(仮名)という珍しい名前がついていました。私の好奇心はムクムクと大きくなりました。しばらくして銭一君がやってきました。「君の名前、すばらしいね。お父さんがつけたんですか」「はい、父です」「すごいお父さんですね」「いえ、すごいことではないのです。何代も前、江戸時代のおじいさんに銭兵衛という人がいたのです。その名前をもじってつけたのです」「そうか、そうだったのか。そんなに古い家だったのか」私の好奇心はもういっぱいにふくらんでいました。銭一君は、さらにいいます。「僕は吉本興業のタレント学校にいました。でも、タレントとして生きていくのは怖くなってセールスマンになったのです」
私は、ほれっぽい性格です。いっぺんに銭一君が好きになってしまいました。そこで彼がすすめるデジタル電話を二つ返事で買うことにしました。心の中では、二十万円か三十万円くらいだろうと勝手に想像していました。私は、価格も台数も何も確めずに、サインだけしました。
翌日やってきて、契約書を書き直してくれといいます。私は、何も考えないで、またサインをしました。そして、これが大間違いでした。私が安易にしたサインの結果、七年間で550万円もの支払いをしなければならないことになっていたのです。そのことを二つのリース会社への支払いが始まってから気がつきました。
友人が来て契約書を見ていうのです。「何だ!買っていないものまで買ったことになっているではないか。すぐ○○リースに電話しなさい」その忠告のおかげで、300万円分が助かりました。
実は、三年前に買った電話がすでに、デジタル電話だったそうです。私は本当に愚かでした。しかし、この愚かなことをしたおかげで「カリスマ・セールスの心理」というもの
に実感を持てるようになりました。
■ほれてしまえばあばたも笑くぼ
私は何人もの友人に、バカなことをしてしまったと話しました。こういう話をすると、だれでも面白がるものです。それが好きで、いつも失敗談を話しているのです。
ある友人が教えてくれました。「ある老人が、商品取引のセールスマンにだまされて大きな損をしました。どうして商品取引のようにあぶないことに手を出したのかとたずねたら『あのお兄ちゃんくらいやさしい人はいなかった。親切な、いい人だった。一人暮らしの私に、しばらく楽しい思いをさせてくれました』というのです。悪い商売をする奴は、そういうテクニックを使っているのです」
そういえば銭一君も、本当に明るい、いい顔をしていました。そのいい顔を詐欺的テクニックに使ったのです。それにのせられた私が幼稚なのですが、二十四歳という若さと、あの明るい笑顔に、まったく無警戒になっていたのです。ところが、あの若さで、りっぱに詐欺的な商売をしていのでした。
私はくやしい思いをしながら、どうしてあのようなことになってしまったのかを考えていました。そのうち(そうだ。あれがカリスマ・セールスの心理だ!)と気づいたのでした。
そうしたら続々、イメージが拡がってきました。
「ほれてしまえば、あばたも笑くぼ」といいます。人間というものは、人を好きになると欠点が見えなくなり、警戒心を失うのです。今になってみると、どうしてあのとき、あんなに無警戒に銭一君を信じてしまったのか、自分でもさっぱりわかりません。
私は今までに何回も詐欺にひっかかっており、そのことはわかっているつもりでした。
それなのに銭一君の、あの若い、無邪気な笑顔にすっかりはめられてしまったのです。そして、セールスマンを好きになると買いたくなってしまうこと。それがカリスマ・セールスの本質なのだと気づいたのでした。
私は、すべての商売がこの心理を利用していると思います。ただし、悪意を持ってやると詐欺になり、善意を持ってやると、カリスマ・セールスになるのです。悪意を持ってやると、いつかはバレます。だから、罪は雪だるまのように大きくなっていきますから、客が客を呼ぶというわけにはいきません。それに対して善意でカリスマ型の心理を使うと、喜んだ客が何回でもくり返して買ってくれるだけでなく、客が客をつれてくるようなことにさえなります。
ところが売れない人から見ると、なぜ、カリスマ・セールスのようなことがなりたつのか、さっぱりわかりません。それは理屈で考えているからです。もっと素直に平常の私たちの感情を素直に思い出すことが大切です。
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