in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”にフィールズジュニア株式会社 代表取締役社長 渋谷康弘氏登場。
本文より~
No.1ソムリエからレストランの経営者に
フィールズといえば、いまや知らぬ者などいないと言っていいほどの企業ではないだろうか。総合エンターテインメントビジネスを展開し、そのコンテンツ事業ではウルトラマンでおなじみの円谷プロダクションなどもグループに収めている。しかしそんな同社が飲食ビジネスに参入していることを知る人は少ないかもしれない。
2009年、六本木ヒルズにある「MOTHER’S」「Roy's東京」「厲家菜」などのレストラン経営がフィールズに託された。ところが当時の同社にとってはノウハウを持たない未知の領域である。そこでグループのフィールズジュニアがこれを担うことになり、その舵取り役として白羽の矢が立ったのが渋谷康弘社長だった。
渋谷といえば知る人ぞ知る有名人である。流暢なフランス語・イタリア語・英語を使い分け、欧州の文化や格式に明るい。一流のホテルマンとして、またレストラン経営において、眩しいばかりの実績を残している。しかしなにより、ソムリエとしてその名を知る人が多いのではないか。そんな渋谷がフィールズとは、意外に思う読者も多いだろう。
いま渋谷は、フィールズグループ全体のパワーと武器を活かした新しい飲食ビジネスの構築に挑戦している。ある人気コンテンツを用いて大盛況のカフェ&ショップも、渋谷率いるフィールズジュニアが仕掛けたものだ。「グループが有するコンテンツ。そのイメージと事業を掛け合わせて、さらに大きな価値を生み出せた」と話す渋谷。ではいつも通り渋谷の足跡を追いかけてみよう。
ツール・ド・フランスの舞台をみたい。青年渋谷は、夢を抱き、ヨーロッパへ渡った
高校時代は、自転車競技に一辺倒だった。渋谷の専門はスプリント。決められた周回をゴールするまで走るのだが、位置取りをめぐる駆け引きが勝敗に大きく影響するというトラックレースだ。インターハイや国体に参加するほど、当時の渋谷は自転車で一目置かれていたのである。
スポーツ推薦を得ることはできたが、渋谷は高校を卒業すると、父の紹介である会社に就職した。「そのまま自転車競技の道を進んでも、先にあるのは競輪選手という仕事。それは希望外だったので、それなら早く就職して稼ごうと思いました」。しかし、好奇心と行動力が溢れる18歳。一つの会社で腰を落ち着けて働けというほうが酷なのかもしれない。
3年間働いた後、やはりもう一度勉強したいという欲求から、いや正確にはもう少し遊びたいという欲望から、渋谷はイタリア・ペルージャへの語学留学に飛び立った。「イタリアを選んだのは、まず入学するのがカンタンだったから(笑)。それと高校時代に愛読していた自転車専門誌の影響です。ツール・ド・フランスやジロ・デ・イタリアなど、その舞台になっている美しい景色を直に見たいというのがありましたね」。
ペルージャには、世界中から人が集まっていた。現在、第一線で活躍しているファッション界や料理界の巨匠と呼ばれる面々が同級生であったという。若き日の彼らは授業が終わると、翌日の明け方まで飲み語らう。「そこで出会った方々とは、今でもおつきあいがあります。人生の宝です」。・・・・。
フィールズジュニア株式会社 代表取締役社長 渋谷康弘氏
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