in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”にオーガニック野菜スウィーツ専門店の株式会社イヌイ 代表取締役 柿沢直紀氏登場。
本文より~
優れ者で、変わり者
幼少期の柿沢は、水泳スクールに通っていた。それもただのスクールではない。オリンピック出場選手の育成に力を入れているような所だ。100m×100本などという特訓を乗り越え、小学生時代には県大会の平泳ぎで1位に輝いている。また小4以降はサッカーに没頭するが、高校時代には宇都宮の代表メンバーに選抜されているほどだった。
さらに学業の方も優秀だったのだろうと想像する。これについて、柿沢本人は何も言わない。ただ学習院大学に進学したことについては「当時は欧米、特にイギリスへの憧れが強く、向こうの大学と提携していて留学が可能だと思ったからです」と、興味本位だったことを強調した。
一方で、中学以降は音楽とそのファッションにハマった。特に好んだのがポール・ウェラーだ。60年代のムーブメント『モッズ』色が強く、以降の時代に流されず、一貫してクールなものを追求するその姿勢から『モッド・ファーザー』と呼ばれ愛されるイギリスのミュージシャンである。彼のそんな姿勢などは、柿沢に大きな影響を与えたのではないだろうか。
あらゆることに追求姿勢が強い柿沢だが、大学時代はブズーキという少々マニアックな楽器にのめりこんだことがある。ギリシャ音楽で中心となる楽器で、マンドリンに似た弦楽器だ。金属的な音が特徴的とされるが、「わび・さびのある音が好きで、教室に通って練習していました」と笑う。ちなみに当時はUKミュージシャン張りの服装で、ファッションにもかなりこだわっていたそうだ。柿沢のそんな「とことん」も、周囲には「変わった人」と映ることが多かったようである。
パートナーとの出会いと、未来への準備
柿沢は、大学生の頃にはすでに独立志向を強めていた。「食品や飲食といったジャンルは決めていませんでしたし、具体的なビジネスモデルも未定でしたが、まず数年間、実社会を学んだ上でと考えていました」。そして、それが徐々に具体化するきっかけとなったのが、現在の奥様である安耶氏との出会いである。
大学に入ると、柿沢は広告研究会に籍を置いた。その1年後、勧誘した新入生たちの中にいたのが安耶氏だったのである。安耶氏は10代から料理を志し、ある料理研究家の下で料理を学んでいた。大学時代にはフレンチレストランやケーキ店などで働き、フレンチの王道リッツエスコフィエにも短期留学した筋金入りの料理人志向を持った女性だった。
「二人でどこかに出かけるといえば、カフェやレストランばかり。行き先は、妻が関心のある店です。そこに否応なく着いて行くといった感じでした」。柿沢は当時のデートを照れくさそうにそう振り返った。
やがて卒業すると、紆余曲折を経て柿沢はセールスプロモーションを手がける中堅の広告代理店へ、安耶氏はカフェやレストランを営む企業へ、それぞれ就職する。しかし柿沢が企画営業として提案力・折衝力を磨く一方で、安耶氏は肝心のキッチン業務を任されなかった。「自分の好きな料理をするために独立して自分の店を持ちたい。そんな思いが彼女の中でもいよいよ高まってきていました。それで思い切ってアクションを興すことにしました」。
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